聖マリアンナ医科大学 特任教授
井上 肇(いのうえ はじめ)
新学期、新しい仕事環境にもようやく慣れてきたのに、からだの調子が良くないと感じることはありませんか? たとえば、胃もたれ、吐き気、空腹時に胃がキリキリするなど、胃に不快感を感じることが多くなっても「疲れているから」「飲みすぎたから」と対策を練らず、そのままにしている人も多いのではないでしょうか?
でも、からだがSOSサインを出していたとしたら? 胃炎や腸炎を繰り返している人は、ピロリ菌に感染しているかもしれません。聖マリアンナ医科大学 特任教授の井上肇先生にピロリ菌について聞いてみました。
正式名称はヘリコバクター・ピロリ (Helicobacter pylori)、略して「ピロリ」と呼びます。蛇足ですが、われわれ医療従事者は『ヘリコの感染』などと言います。胃の中(詳しくは胃粘膜上)には細菌が潜んでいるということは100年以上前くらいからいわれ続けていたのですが、認められるには至りませんでした。なぜなら、胃の中は極めて強い酸が存在しているため、この中で細菌が常に生き抜いて、増殖できるなどということは誰も思っていませんでした。
ですが、1980年代になり、この胃の中に潜む細菌がヘリコバクター・ピロリ菌であることが初めて認められたのです。
先にお伝えしておきますが、細菌のすべてがからだに悪い、とは限りません。逆にからだに常在してくれているおかげで、他のバイ菌からからだを防御する善玉の細菌もいます。皮膚の常在細菌(表皮ブドウ球菌やウイルスまで。ファージウイルスなども常在しています)、腸内の常在菌(乳酸菌)などが有名です。
逆にいえば、善玉の微生物(細菌)で健康なからだを維持している(からだが守られている)と考えた方が良いです。その中でも、いくつかの細菌やウイルスがからだに悪影響を及ぼす病原微生物として働いていると考えた方が正しいでしょう。ヘリコバクター・ピロリは悪玉の菌として有名です。ただし、ヘリコバクター・ピロリが逆流性食道炎を予防しているなどという報告も一部されていますが、胃がんを誘発する可能性のある菌ですから、除菌するに越したことは無いでしょう。
ヘリコバクター・ピロリに感染すると全例が胃腸症状を示すと思われがちですが、症状が発症するのが3割程度といわれています。保菌していても大半が何も症状が出ていないケースがほとんどです。
感染した場合の症状ですが、通常の消化性胃・十二指腸潰瘍と同様で、食後(胃潰瘍)、食前(十二指腸潰瘍)の胃痛や胃部不快感を特徴とします。重症化すれば、吐血やタール便といった下血を認めます。
ただ、ヘリコバクター感染を原因としない消化器潰瘍の場合、たとえば、ストレスや非ステロイド系抗炎症などの薬の長期投与による消化器潰瘍と異なり、再発と再燃を繰り返すことが多いのが特徴です。
ヘリコバクターの感染経路は未だに明確にわかっていないのです。ただし、経口感染であることは間違いないのですが、「いつ? どうやって感染したの?」という詳細につては不明のままなのです。
主な感染は、家族性で母子感染が知られています。幼児に食事を与える時には注意が必要でしょう。この菌自体は酸性下でも生き延び、増殖できる特殊な性質を持っていますが、胃内の酸性度が低ければ、ヘリコバクター・ピロリにおいてもより生きやすい環境になります。すなわち、幼児などは胃内の酸性度が比較的弱いので、感染リスクは高いと考えられています。
一方で、ヘリコバクターの存在がまだよくわからなかった時代に、ヘリコバクター感染者に用いた胃内視鏡の消毒と滅菌が不十分で、健康な患者さんの検査時に感染を助長した(伝染させた)可能性も否定できません。今ではこのリスクが考えられたため、極めて厳密な滅菌が施され、清潔になっています。
一番恐れられているのは、ヘリコバクター感染が消化器であれば胃がんの原因になることです。同時に、子宮がんのリスクを上昇させることも知られています。実は、ヘリコバクター・ピロリは、発がん微生物として初めて知られた細菌です。したがって注意が必要です。
その他、特発性血小板減少性紫斑病とか、ある種のリンパ腫に影響することは明らかになりつつあります。
いくつもの方法があって、検査を複数おこなうことで正確な診断につなげます。基本は鼻や口から吐く息の中にヘリコバクター・ピロリが生存する時に放出するガスの有無を検査したり、内視鏡的に胃粘膜上で直接ヘリコバクター・ピロリの存在を確かめたりする方法があります。これは、すでに消化器内科で検査が可能です。結構面倒な検査ではありますが、最近は抗体検査をおこなうことで、ヘリコバクター・ピロリの感染の有無も検査できます。
ヘリコバクター・ピロリの除菌は重要です。基本的には2種類の抗生物質、1種類の酸分泌抑制薬を併用することで除菌を試みます。最近は、耐性菌も増えてきているために、1回の除菌では成功しないケースも30%くらいあります。こういった場合には、新たな抗菌剤を用いて除菌を試みます。
近年この治療の際に、ある種類のヨーグルト(乳酸菌)を治療期間中に摂取させることで、除菌率が向上することも知られています。いずれも、耐性菌を生み出さぬように、中断せずにしっかりと治療することが重要です。
現在、除菌後のヘリコバクター・ピロリの感染予防といって、いろいろな食材の利用が叫ばれていますが、動物実験レベルでの効果をうたっているだけで、実際の臨床への適用がどれだけ効果的かはまだ明らかではありません。しかし、近年先にも述べたような乳酸菌の一部にさまざまな疾病予防の効果、疾病の進行抑制、疾病の治療補助効果があることが知られています。ヘリコバクター・ピロリ感染においても例外でなく、乳酸菌には大きな期待が寄せられています。
胃もたれやキリキリした症状も「いつものこと」とせず、この機会に検査を受けてはいかがでしょうか?
(文・長谷川真弓)
この記事の監修
聖マリアンナ医科大学 特任教授
日本臨床薬理学会 認定薬剤師/日本臨床薬理学会 指導薬剤師
井上 肇(いのうえ はじめ)
星薬科大学薬学部卒、同大学院薬学研究科修了。聖マリアンナ医科大学・形成外科学教室内幹細胞再生医学(アンファー寄附)講座 特任教授及び講座代表。幹細胞を用いた再生医療研究、毛髪再生研究、食育からの生活習慣病の予防医学的研究、アンチエイジング研究を展開している。
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